【仕事術】目指すべきは『階段を降りられる人』!?
こんにちは。
今日はお仕事をする上で”魅力的な人”についてを書きたいと思います。
例えば、「ものすごい賢いんだけど、ものすごいアホにもなれる人」「熟練した経験や知恵がありながらも未熟な人と同じ高さに目線を落とせる人」というのが僕の理想です。上方向と下方向の”振れ幅”が大ければ大きいほど、その人の魅力に繋がると思うのです。
仕事をしていると色々な人と出会います。そんな中自分が描く姿に向かい、高く高く上へ向かう人はとてもカッコよく見えますよね。見ているこちらの身が引き締まるような。その一方で、他人と接するときはその高みからいつでも下に目線を落とし、素早く降りて来れる人は、さらに魅力的に映ります。”階段を降りられる人”とでもいいましょうか。
上と下、その両方のベクトルを磨くことが重要で、その幅が広ければ広いほど『尊敬』と『親しみ』の両方が増し、そのギャップがより人を引き付ける要素になるのだと思います。
経験上、優秀で常にストイックに高みに向かおうとしている人でも、下にいる人(部下・未熟な人・未経験者)の気持ちが分からなかったり、目線を落とせない人は中々仕事の幅が広がらないのかなぁ、という印象があります。優秀であるが故、下々の人にも自分と同じレベルで求めてしまうからかも知れません。
かつてちょっと大きめの企業のコンサルティングのお仕事をした時の事。その際、とても優秀で厳しい先輩の下につくことがありました。自分も抜擢された際、それまでの拙い経験からも、なぜかちょっとした自信を持っていたのですが、彼のもとではまったく勝手が違いました。不慣れなワークも多く、技術もなかった私は、彼が求めるタスクを十分に成し遂げることができず、納期や完成度、仕事の進め方において毎日叱責をされるようになりました。それはもうストレスとプレッシャーで押し潰されそうになるような日々でした。
ある日、いよいよどうしようもなくなり、意を決してその人に相談をしました。
「私はいま随分低いところにいて、あなたの求めるレベルの仕事をこなすことが出来ない。もっと下に降りてきて分かるように指導してくれないか?」
それを受けて彼は言いました。
「なぜ僕が君のいる位置まで降りなければならないのか?君が僕の所まで上がってくればいいんだ」
高みに行きたいと願えど、上にジャンプできない”カエルのような”私と、孤高の先輩の間では歩み寄りは生まれる事はありませんでした。やがてプロジェクトも終わりチームも解散となり、その彼ともその後は一緒に働くことはなくなりました。その後数年が経った今振り返ってみて、厳しく指導してくれたその彼に畏敬と感謝の気持ちはありつつも「自分はああはなりたくない」というのが辿り着く結論です。
彼はものすごく賢くて仕事の量もこなす人でしたが、部下や業務で関わる人の理解がありませんでした。もしかすると分かっていて「そんなものは必要ない」と思っていたのかも知れません。もっとも僕の力不足が根本にはあるものの、ただ、その後も伝え聞く話では、彼の下はなかなか人が育たないということでした。僕と同じようにやり込められる人が続いたのかも知れません。彼の仕事に向かう姿勢からは大いに学ぶところはあり、その後の自分にも大きな影響を残したのですが、私の理想の姿とは違っていました。
自分が大してイケてないということをその時心底思い知らされ、月並みではありますが一つの挫折を味わいました。しかしそれがあったからこそ、今の自分は常に階段を降りられる人でありたい、と思うようになったのかもしれません。高みを目指せど、傲慢にならない、年を重ねてもフットワーク軽めな姿勢を常に持っていたいものです。
まあ僕の場合、これまで大した高みに立ったことがない分、降りる階段もそんなに沢山ないということはさて置き。
常に忘れないようにしたい思いです。
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